プロジェクト
バキュロウイルスはチョウ目昆虫に感染する大型の二本鎖DNAウイルスである。バキュロウイルスに感染した昆虫は、感染末期になると行動が活発になり、寄主植物の上方に移動する。これは、100年以上前から知られている「Wipfelkrankheit (梢頭病)」と呼ばれる現象であり、ウイルスが自身の伝播範囲を広げるために行う利己的な行動操作であると考えられている。私たちは、順遺伝学、および逆遺伝学的な手法を用いて、この「延長された表現型」の分子機構解明に取り組み、ウイルスゲノムにコードされる「行動制御」遺伝子候補の同定に成功した。それらの機能解析から、ウイルスが昆虫の脳・中枢神経系に対して適切な時期に、適切な量で感染することが、ウイルスによる「行動制御」に必要であることが示唆されている。一方、感染昆虫の「行動実行」に関わる宿主因子の機能解析には至っていない。本研究では、ウイルスによる「行動制御」と感染宿主の「行動実行」のメカニズムに迫ることで、ウイルスが宿主の行動を操作する分子基盤を解明する。
ハリガネムシ類は、森林や草原で暮らす宿主(カマキリや直翅類等)の体内で成虫になると、自らが繁殖をする水辺に戻るために、宿主を操って入水させる。私たちは、この奇異な行動操作において、宿主の活動量の上昇により水辺遭遇確率が高まる可能性と水面から特異的に反射される水平偏光への正の走性強化が重要な役割を果たすことを明らかにした。しかし、その分子機構は未だ謎に包まれている。本研究では、(1)行動操作候補遺伝子群とエフェクター分子の探索・同定を進め、さらに(2)宿主のシグナルカスケードへの介入メカニズムを理解する。これらにより、ハリガネムシ類が宿主の入水行動を生起する分子機構の解明に迫る。
トキソプラズマは哺乳類や鳥類を中間宿主とし、ネコを終宿主とする偏性細胞内寄生原虫である。本原虫は中間宿主の脳や筋肉にシストを形成し、慢性感染する。近年の研究により、本原虫の慢性感染はげっ歯類の行動変容やヒトの精神・神経疾患の発症リスクを高めることが報告され、動物やヒトの神経機能に様々な影響を及ぼすことが報告されている。我々はマウスを用いた動物行動学、感染病理学的な手法を用いて、トキソプラズの感染活動期には宿主免疫反応が関与するうつ様症状の発現、感染慢性期には中枢神経系の神経伝達物質の変調による記憶能力の低下を明らかにしている。これらの解析から、宿主動物の中枢神経系がトキソプラズマ由来のエフェクター分子により影響を受けることが推測されるが、その分子の同定には至っていない。本研究では、トキソプラズマのエフェクター分子が宿主の行動を操作する分子基盤を解明する。
多くの昆虫の細胞内には、母から子に綿々と世代を越えて伝わる様々な共生体が存在している。父から子には伝わることができないこれら共生体の中には、宿主の生殖や性決定をコントロールし、メスのみしてしまうものが存在する。これまでに多岐にわたる細菌やウイルスなどの細胞内共生体が様々な昆虫の性を操作していることが分かってきたが、原因遺伝子やメカニズムの一端については数個の系でしか明らかになっていない。我々は、これまでに、チョウ目昆虫に共生する細菌ボルバキアが宿主に起こすオス殺しメカニズムの背景に、性決定遺伝子カスケードの操作があること、また、それが培養細胞レベルで再現できることを明らかにした。本計画では、以下の2項目を実施することにより、多様な性操作の共通性と進化的起源を探る。①チョウ目昆虫、ショウジョウバエ、クサカゲロウや昆虫培養細胞を用いて、細胞内共生体が起こす宿主操作を解析する。②様々な昆虫種から共生ウイルスおよびそれらが持つ宿主操作候補遺伝子を探索し、昆虫や細胞を用いて機能解析を行う。
昆虫に共生する微生物には、オスだけを殺すなど、宿主昆虫の生殖を勝手に操作してしまうものの存在が知られている。この生殖操作は、昆虫と微生物という異なる生物種が相互作用することで初めて顕現する、延長された表現型のひとつとしてとらえることができる。本研究では、非モデル昆虫における手付かずの生殖操作現象を研究対象に据える。昆虫と共生微生物の組み合せに応じて、モデル昆虫に用意された高度な分子レベルの実験手法を転用する、あるいは、当該非モデル昆虫にゲノム編集・遺伝子組換え技術を本格適用することで、生殖操作機構の全容解明を目指す。
虫こぶは、昆虫が植物の形や性質を自分に都合の良いように改変し、その結果生じた特殊な構造物であり、昆虫にとって巣であり食物供給源である。虫こぶの形態は、興味深いことに、それをつくる昆虫によって多種多様であるが、同じ昆虫がつくる虫こぶは、形が厳密に決まっている。つまり虫こぶは、昆虫側の遺伝子発現の結果が植物上に現れた「延長された表現型」であり、昆虫が植物の発生プログラムに介入し、操作することで作り出した植物の形態なのである。しかしながら、どのような昆虫由来因子が植物組織の発生や生理状態を改変し、通常では見られない精妙な虫こぶ形態をどのように再現的に作りあげているかという問いについては、まだ十分な答えが得られていない。本研究では、この謎に迫るべく、エゴノキにバナナ房状の虫こぶを形成するエゴノネコアシアブラムシを対象に研究を推進する。本種虫こぶの大きな特徴は、形成に失敗した虫こぶから、異常な形態をした花が通常より遅れて咲く、「遅れ花」という現象である。本研究では、この独自モデル系を用いて、虫こぶ形成過程における花器官分化関連遺伝子の詳細な分子発生学的解析を行い、アブラムシによる花の器官形成メカニズムを利用した虫こぶ形成の分子基盤について、昆虫・植物の両面から具体的に明らかにしたい。
研究代表者らは近年、「昆虫が、植物の幹細胞、二次細胞壁、および維管束の形成を誘導し、花器官・果実形成遺伝子を利用して、虫こぶを形成する」ことを証明した。そして、これらの遺伝子は、昆虫から分泌されるCAPペプチドと植物側受容体CAPRによる反応から誘導されることを突き止め、完全に人工的な虫こぶの再構築に成功した。すなわち,虫こぶ形成は,「本来、植物の内在性のCAPペプチドがCAPRに作用して起こる植物の形態形成の制御システム」を、昆虫がハイジャックした結果であることがわかった。そこで,本研究では,形態操作の本体である「CAP-CAPRの操作」の分子機構を網羅的に明らかにする。
寄生蜂は、宿主(寄主とも呼ぶ)に一度に数百種類にも及ぶ毒を注入し、その作用によって、宿主の特定の組織の退縮や免疫応答の抑制しつつ、一定の期間は宿主を生かした後で宿主を殺して乗っ取る「飼い殺し(koinobiont)」を実現させる。こうした宿主の発生過程や表現型の巧みな操作の理解には、寄生蜂毒の実態と宿主に対する近接的作用の分子メカニズムを明らかにする必要があるが、それらは多くの部分で不明である。また、それぞれの寄生蜂は特有の宿主特異性を有し、生態学的・進化学的に古くから多くの研究者の関心を惹いてきたが、寄生蜂種ごとの宿主/非宿主の別を毒と毒の作用の多様性から理解することも大きく立ち遅れている。本研究では、Drosophila属ショウジョウバエを宿主とするAsobara属寄生蜂を主な研究対象として、寄生蜂毒による巧みな宿主発生操作の分子基盤の解明を目指す。
近接的な生物間相互作用による表現型変容としての「延長された表現型」は、これまでもっぱら「寄生」的な関係において論じられてきた。ところが「相利」的な共生関係では、対抗進化というよりはむしろ協調進化の帰結として表現型変容が生じてきたはずである。本計画研究では、生存に必須な共生細菌が宿主の外見や行動に適応的な変容をもたらすカメムシ腸内共生系をモデルとして、その分子機構を解明する。具体的には、①保護色である緑の体色が共生細菌と宿主カメムシの相互作用で形成される共生体色変容、および②生存に必須な共生細菌を垂直伝達するための宿主昆虫の行動が両者の相互作用で制御される共生行動変容に関わるメカニズムの解明に取り組む。寄生関係における「対抗的な表現型操作」と相利関係における「協調的な表現形変容」の分子機構の比較解析により、生物間相互作用における表現型共進化の本質の理解をめざす。
©CEEP, Grant-in-Aid for Transformative Research Areas (A)